終業式・離任式
令和四年度の終業式と、今年度で退職される先生方の離任式が行われました。
賞状授与
校長賞
- 一年 代表 普通科 亀井
- 二年 代表 普通科 赤松
皆勤賞
- 一年 代表 普通科 吉野
- 二年 代表 普通科 早野
漢字検定努力賞
- 一年 代表 普通科 吉金
- 二年 代表 普通科 城戸
終業式
校長式辞
校長先生からは式辞として、校長先生がかつて教育委員会職員として最前線で対応された「えひめ丸」事故のエピソードを通じて、いのちの大切さを説くお話をしてくださいました。
今年で離任される校長先生からの最後の式辞でもあり、生徒たちは神妙な面持ちで自分を見つめました。
3学期終業式
学校長 永井 博
私は50年間教育にかかわってきましたが、校長としての式辞はこれが最後です。そのテーマに「いのち」を選びました。いのちの大切さ等については、これまで様々な角度から皆さんにお話ししてきましたが、今日は自分が直接体験したことをもとにお話しします。
それは、2001年2月10日に、ハワイ州オアフ島沖で突然発生した海難事故にかかわることです。この事故を通して、私は「人の生と死」の問題を、長い時間目の前に突き付けられ、考えさせられました。
その事故とは、広い太平洋上で、愛媛県所有の宇和島水産高校実習船「えひめ丸」が、緊急浮上したアメリカの原子力潜水艦に下から突き上げられるようにして衝突され、瞬く間に沈没してしまうといった信じられないような出来事です。このとき、乗組員35名のうち、高校生4名を含む9名が行方不明になったのです。
記憶は歳月の中で上書きされながら変容しますが、当時の記録等をもとに、できる限り正確にこの事故のことを引き出し、皆さんに伝えたいと思います。
私は、事故が起きた当日、県知事から直接命令を受け、県職員として最初に、状況の把握や関係者の安全確保等のために、現地に向かいました。到着後、すぐに生存者とは対面できましたが、彼らのおびえきった表情や沁みついた重油の臭いは記憶として今でも鮮明に残っています。
翌日、行方不明者の家族の方々が到着し、海上捜索が昼夜を問わず必死でなされましたが、まったく手がかりはありませんでした。時間の経過とともに、焦り、苦しみが増し、半狂乱になって肉親を求める行方不明者の家族。まるで拷問され続けているかのようでした。そんなご家族に、私は、1日24時間に近い状態でそばについていました。しかしながら、海外で、しかも日本外務省・米海軍といった組織の壁もあって、状況についての情報収集さえ十分できず、捜索の行方を家族の方々とともにじっと待つことしかできませんでした。このときの無力感や「寄り添えなかった」という心の痛みは、これまでも、これからも消えることはありません。希望の灯(ともしび)が時々刻々弱くなり、家族の方々は、絶望と疲労で追い詰められた状態に陥りました。そして、事故後7日目、ついに奈落の底に突き落とされてしまいました。水深約600㍍のところに沈んでいる「えひめ丸」が発見され、もっともっと生きてやりたいこともたくさんあった9名の貴い命が失われたことが明らかになったのです。行方不明者のご家族は、船内に閉じ込められたままであろう大切な人を求めて、「えひめ丸」の船体引き上げを強く要望し、帰国しました。
600㍍もの深海から「えひめ丸」級の船体を引き上げることは、人類がかつて経験したことがなく、技術的に不可能だと考えられていました。しかしながら、米国が依頼したオランダ船籍のサルベージ船がその年の10月に、海底からの引き上げに成功しました。吊り下げたまま水深35㍍の浅瀬まで曳航してそこに着地させ、遺体の船内捜索が開始されることになりました。海洋汚染を避けるため、船体はこれ以降も海面まで引き上げられることはありませんでした。私は捜索が始まるのに合わせて、二度目の渡航をしました。
ダイバーによる捜索開始から10日ほどの間に不明者9名中8名の遺体が見つかり、一体ずつ家族との対面・仮葬儀を行いました。ご家族にとって、約8ヶ月もの間深海に閉じこめられていた肉親との対面は、想像を絶する悲しみ、苦しみだったと思います。
約1カ月間船内捜索が続けられましたが、一人の生徒は見つかりませんでした。ついに、最後の潜水捜索の日が来ました。その生徒の母親は、彼が好きであった手作りのクッキーを準備し、彼の船室に置いてくるよう頼みました。捜索終了後、米国関係者が生徒の両親のもとを訪れ、「彼がクッキーをいつでも食べることができるよう、ロッカーの戸は開けておきました。これまで自分の家族を探すつもりで捜索してきましたが、どうしても見つけることができませんでした。本当に申し訳なく思います。今の気持ちをお父さん、お母さんに日本語で伝えることができないのが、とても残念です。」と、言葉をつまらせながら話しました。私たちも涙が止まりませんでした。
(写真提示)これがその生徒、水口くん17歳です。2年生の皆さんと同年齢です。この写真は、沈んだ「えひめ丸」から回収された彼のデジタルカメラの映像で、技術の粋を集めて奇跡的に再生されたものです。おどけた表情の水口くんが涙を誘います。
「えひめ丸」は遺体捜索後、水深1,800㍍の深海に再び沈められ、永遠の眠りにつきました。この際も、遺族の方々といっしょに、準備してもらった自衛隊の艦船の甲板から、曳航船の吊り下げワイヤーが切断されるのを見届けました。ずっと海面下にあり、姿は見えないままでしたが、「えひめ丸」との別れも、つらいものがありました。
さらに、翌年2月には慰霊碑建立にかかわる用務で3度目の渡航をし、私のホノルル滞在は計3カ月に及びました。
以来、私は「三人称の死」と言われるものにも、人ごととは思えないほど敏感になりました。「大型トラックにはねられ、病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。」短いニュースが無機質に流れます。この出来事の中に、生に向けたいのちの戦いがあり、痛み、苦しみ、そして祈り、悲しみ、嘆き、怒りなどがどれほどつまっていることか。哀悼の気持ちを強く感じるとともに、喪失感に打ちひしがれている人のことを考えてしまいます。
交通事故で息子をなくした母親の投書が新聞に載っていました。「息子が亡くなって2年半、息子が夢に出てきて、『お母さん、もう一度僕を産んで』と何度も私に訴えるのです。私は泣いて謝りました。『ごめんね。産んであげたいけど、産んであげられないのよ』と」
皆さんは奇跡的な確率で唯一無二の命を授かり、今を生きています。しかも、だれもが、一人で生きているのではなく、家族をはじめ、周りからかけがえのない存在として、いとおしまれながら生きているのです。自分のいのちを大切にしましょう。他人のいのちも大切にしてください。
そして同時に、「いのちは有限である」ということにも決して目をそらさず、しっかり向き合ってください。いのちは限られているからこそ輝かせることができ、無限の価値があるのです。いのち尽きるその日まで、精一杯生きる、これは老いも若きも同じです。生を授かったものの務めです。皆さんが、いのち燃やす高校生活、そして生き方ができるよう願って式辞とします。
離任式
終業式後には今年で退職される先生方の離任式が行われました。
長く新田高等学校を支えて下さった先生の退職もあり、生徒代表から送られる花束には色々な想いが重なっていました。
離任される先生方、ありがとうございました。